決定論的自由意志の存在証明なのだけど両立主義ではない、みたいなアレをナニした感じ

S「……という思考実験をして遊んでたら、なんかわけわかんなくなってきたので。これを読んでる皆様に助けを求めようと思いまして、まずはアップすることにしました:

bold;">思考実験その01:自由意志があると確信してそのように表明している(が実はあなたが遠隔操作している)アンドロイドRayくんと、同タイプで同様の確信を表明するアンドロイドFreddyさん(ただしこちらはあなたが遠隔操作しているわけではない)と、すべてはあらかじめ決定されている(=人間に自由意志はない)と確信している生身の人間Danny氏とが、あなたの前にいるとして……「3人」のうちの誰がいちばん「自由意志がありそうだなあ」と、あなたは判断するだろう?

M「なんですかこりゃ」
S「だから思考実験。ちなみに両立主義については、こちらをどうぞ→wikipedia:自由意志
M「次のSFのネタですか?」
S「それもあるし、他の仕事ともいろいろつながってるから頭を整理するために実験してみたんだけど、なんかまだすっきりしないので。――新城の思うところ、この問題ってのは大きく分けると二段構えになってて*1

  1. 人の意志ってのは「それ以上は遡れない原因」なのか「何かの結果」なのか?
  2. 上記の疑問1の答を、人は「知る」ことができるのか?

から始まる感じがしてるんだよ。でも、そこからいろんな疑問がいろんなレベルで派生していって……

  1. 人の意志ってのは「原因」なのか「結果」なのか?
    1. もしも「原因」だとしたら……あれれ、無から有が生まれてるってこと?
      1. そりゃまずいだろ。
      2. いや、むしろいいんじゃね? 人間バンザイ!
      3. ていうか、何についても必ず「原因」があるんなら、その連鎖はどこまで遡れるんだ? 無限にか? それとも、どっかに「究極の原因」があるのか?
        1. あるよ。きっと。
        2. いや、ない!
          1. 「究極の原因」はあるし、私はそれを見た!
          2. ソースは?
    2. もしも「結果」だとしたら、じゃあ何が「原因」なのか?
    3. その「原因」は変えようがない……のだとしたら、じゃあ人の意志は「あらかじめ決まってる」のか?
      1. それとも、人がいろいろ頑張れば「原因」を変動させたり操作したりもできるのか?
        1. もしそうなら、今の社会はもっと良くなるのでは?
        2. よし、社会を改良しよう!
          1. どんなふうに? おまえの趣味は俺とは違うんだし。
          2. 多数決で……
            1. 少数者の権利はどうなるんだ! 暴政だ! 衆愚政治だ!
          3. おいらのプランが最高だぜ! みんなこれに従え!
            1. やなこった。
            2. ていうか、先にプラン決めるからいろいろ面倒なんだよ。パッチでいいじゃん! ちょっとづつ良くなるって。
              1. ちょっとづつ悪くなる可能性も……
              2. デバッグも、けっこう面倒っす。
            3. なに悠長なこと言ってんだよ。俺らが死んでからパラダイスが来たって、楽しくも何ともないだろ!
            4. なにを! やんのかゴルァ!
      2. 「ぜんぶ決まってる」のか「部分的には決まってる(=決まってない部分もある)」のか? どこまで決まってるのか?
        1. 確率的に決まってる、ってのはどうよ?
        2. なんかイヤだ。
        3. 贅沢いうなよ!
    4. その「変えようのない究極の原因」こそが神なんじゃね? ねえねえ、オレ今いいこと言った?
      1. じゃあその「神」とやらは、この世の悪も不正も「わかってて放置」してるっての? サイテー!
        1. それはそれで最後に無限の愛が……
        2. なに悠長なこと言ってんだよ!
      2. いや、その「神」ってやつ、初期ルール設定&起動だけの担当で、そのあとは一切ノータッチかも。
        1. ずいぶん無責任だなあ。
        2. 初期ルールさえしっかりしてれば、いいんじゃね?
          1. それにしちゃ出来が悪いぞ。>全宇宙
    5. ていうか、この場合の「原因」には自然環境とか超越的存在とかは含まないで、あくまで「自分以外の誰か」に定義を限定して考えたほうが、よくね? ていうか便利じゃね? つまり「誰の責任でこうなったんだyo!」という実社会の問題解決のためにはってことだけど。
      1. (以下、法哲学のほうへ話が続いてゆく……らしい)
  2. 上記の疑問1の答を、人は「知る」ことができるのか?
    1. できるよ。
      1. できねえよ。
      2. できるってば!
        1. できるかできないかを事前に知ることはできない(というところまでは確実に知ることができる)、ってのはどう?
        2. そんなこと分かったからって何が嬉しいんだよ!
          1. いや、それはそれでいろいろ便利だし面白いっすよ。
    2. 「知ることができる」なら、どのくらい確実に? あるいは、どうすれば「もっと確かに知る」ことができる?
    3. 「知る」のと「確信する」のと「信じてる」のとでは、どこがどう違うのか/それとも同じなのか?
    4. そもそも「知る」ってのは、どういうことよ?
      1. 「自分はこれを知らない」ということを知るのが、まずは知ることの第一歩じゃよ……
      2. でも「自分がそれを知ってるか知らないか」、どうやって確信をもって知ることができるの? 知らないと思い込んでるだけで実は心の奥のほうで知ってました、って場合もあるでしょ?
        1. そういうのを「無意識」って呼ぼうぜ!
        2. 「ゴースト」のほうがかっこいいって。ささやいてくるんだよ、俺のゴーストが……。
          1. いや、その論理は無限後退だから。ていうか、その「俺にささやくゴースト」がどこから来たのか説明してくれ。
    5. 知らないほうが幸せってこともあるよ。
      1. ルルイエの館にて、死せるクトゥルー夢見るままに待ちいたり……
    6. ほどほどが一番いいんじゃね?
      1. だったらその前に、何が「いちばん幸せ」なのか定義しろやゴルァ
      2. うっせーバーカ
      3. んだとコノヤロウ!
      4. 死ねボケ!

……みたいな」

M「なんか分岐の半分くらいは、けっきょく最後に大喧嘩なんですけど」
S「いや、そのほうがリアルかなと思って。というわけで、この話題に関する良い参考資料や御意見御感想などありましたら、ぜひぜひお知らせくださいませ〜」













M「え、今日はオチ無しなんですか!」
S「しょうがないなあ。じゃあこれ:

bold;">モンティパイソンより:国際哲学サッカーマッチ・ギリシャ哲学×ドイツ哲学

実況「左からソクラテスが上がってきて……ソクラテス、ゴール! ソクラテスがゴールしました、ギリシャ勢は歓喜の嵐!」
S「うーん、困った時はモンティパイソンが便利だなあ」

*1:090415追記:リストがちょっと読みにくかったので数字付きに変えてみました