GGG13:絶版郷便りLetters from Thats-outa-printia、あるいは書物アポトーシスについて

S「……とまあ、あれやこれや考えてるうちにグーグル・ブック検索に関する疑問&妄想が増えて来たので、あらためて以下にまとめてみました:

  1. けっきょく日本のマンガは今回のブック検索の対象になっているのか/今後なってゆくのか?
  2. グーグルブック検索は、発禁(&回収された)本も検索・閲覧させてくれるんだろうか? 「その本」が一冊でもどこかの図書館に眠っていたらばスキャンされてアップされてしまうのか? 問題があって回収された書籍に関する国際間の取り決めはあるのだろうか? 米国南部諸州でよく聞く「子供に読ませない本の指定」の有効範囲はどうなるのだろう?
  3. グーグル・ブック検索は、初版/改訂版/決定版/等々をちゃんと区別してくれるだろうか? 『出来の悪い初版本』も半永久的にさらされることになるとしたら、それは長期的には良いことなのか悪いことなのか? 誰がそこから利益を得て、誰が損をするのだろう?
  4. 表紙のイラスト等はさておき、裏表紙や奥付にあるISBNコードはブック検索で読めないのだろうか? コードの権利(つまり、グーグル・ブック検索以前のデータベース化への努力とその成果)は、どこに帰属するのだろう? グ社がスキャニングの過程のどこかでISBNのお世話になっていたとしたら、そのぶんの「使用料」だか「迷惑料」だかをグ社はどこかに支払うのだろうか?

……等々。でも、このへんのことを考えているうちに気づいたのは、

  • そもそも『絶版』という状態/行為/過程とは、いったい何なのだろう?

てことだったんですよ」
X「そういえば先々週あたりTwitterでそれ関連のことをつぶやいてたな、おまえ」
S「ええ。まだ勉強中なんですけどね。実際、

  • 『絶版』『品切れ』がなぜ必要なのか
  • それは書物にどのような影響を与え、あるいはどのような印刷技術体系を前提として発生したのか

……等々を、今まで真剣に考えたことなかったですし、

  • 絶版out of printの定義って厳密には(米国では、そして日本国内では)どうなっているのか? 年に一部だけ復刻してたら絶版じゃないのか、それとも津々浦々の小売書店にまで配本されてないとダメなのか?

という質問に今すぐ答えろ!って言われたら、案外に難しいもんですよ」
X「ちなみに今回の和解案では、どんなふうに定義されてるんだ」
S「えーと(文書を検索して)……当初は『米国内で普通に流通してないと絶版扱いだよ〜ん』だったんですが、それだとベルヌ条約との合わせ技でいろいろ大変なことになるじゃん!という指摘があって、けっきょく『日本の書物は日本国内で普通に流通してれば絶版じゃないっす』みたいな、しごくまっとうな方式に修正されるとか」
M「パッチ主義だなあ〜」
S「でも、おかげで新城はいろいろ考えるヒントになったよ。今回の騒動についても、単にこの本を絶版扱いにするな/させるな!とか、今回の和解案で絶版はこういうふうに定義しろ/するな!とかじゃなくて……どう定義したらどんな良いこと悪いことが起きそうなのか、どんなふうに定義し直したほうができるだけたくさんの良いことがありそうなのか、みたいな視点で考えるようになったし」
X「で? 絶版てのは、何がどう興味深いんだ」
S「まあ、当然といえば当然な話なんですが……絶版とか品切れっていうのは、ある条件のもとでは非常に有効で便利な手法なんですよ。つまり、情報と情報媒体の区別をつけられない/つける必要がない場合……書物イコール有体物(だけ)だった時代には。
ひとつの生物として書店というものを想像する――その場合、書物というのは書店を構成する細胞にあたるわけですね――お客さんの支払ってくれる代金が栄養で。書店にも生存本能があるわけで、いろんな栄養をどんどん吸収して無限に拡大・増殖していきたいところですが、現実はそうもいかない。さまざまなタイプの環境圧があるし、同種内競争や異種間競争もある。どうしても有限の資源でもって、有限の時間内に、できるだけ効率的に立ち回りたい。となると、できるだけ良い細胞で自分の身体を構成したい。というわけで発生するわけですね――アポトーシスとしての絶版が」
wikipedia:アポトーシス
wikipedia:プログラム細胞死
X「ふふーん。じゃあ古書店は、いったん廃棄されかかった細胞を再利用する二次消費種族ってわけか?」
S「新刊書店を前提としたニッチでもって共生しているという意味では、そうかもしれません。片利共生か相利共生かは個別の状況次第でしょうけど。いずれにせよ、ニッチは環境や生物自体の変動によって増えたり減ったりするし、種はニッチを埋め尽くすが如くに分岐する。これまではそうやって書物の生態系は続いてきた。
――ところが、そこで環境が激変した」
M「インターネットの登場、ってことですか」
S「もうちょっと幅広く膨大な量の情報を扱える通信&演算技術体系の定着と言ったほうがいいかもしれないけど。まさしくマクルーハンが半世紀前に予測してたことがようやく到来したわけだ。激変……というか、ほとんど相転移だよ。氷が水に、さらには水蒸気に変化するように。書物からショモツへと――最大流通速度も、自己増殖速度も、保存コストも、なにもかも桁違いに変わってしまった」
X「そのへんは、こないだ俺が言ってたことだ。無限書棚は革命なんだよ」
S「ですね。実質的無限の書棚をもった書店が電子的に誕生したのなら、そもそも複製・頒布という手法を経由しなくても情報の最適アロケーションは可能である、という」
M「ん? あそうか、なるほど。絶版の定義が今回の和解で焦点になったのは、ある意味、必然だったんだ……有限書棚時代には必須だった機能でも、無限書棚時代には無用の長物になりかねない……」
S「逆に、新たな機能が必要になってくる。たとえば部分価格
M「ぶぶん?」
S「とでも呼べばいいのか……つまりGooglizationの前提である無限書棚は、同時に、超小型の携帯書棚という側面もあるんだ。ケータイで電子書籍が読めるんだから」
M「あ。そうか」
S「無限の書棚から検索できる部分的な書物、断片的な読書、その結果としての引用・流用・混合・変容――これまでの書物が整数だったとすれば今後のショモツは有理数のように(さらには、もしかしたら実数のように)ふるまうし、そのように扱えなくちゃいけない――つまりショモツの価格は部分的・断片的・混合的・変容的・実数的になってくれないと、かえって面倒なことになる。と同時に、ショモツに対する権利や義務も」
M「ひとつ思いつきましたよ。グ社の2割まで無料閲覧のこと、実数的読書って呼ぶのはどうです?」
S「あはは。まぁ、有限書棚空間でも認められてたけどね、立ち読み行為は。ただし、あんまり長時間やりすぎたら、ハタキをもったお店の主人がやって来る」
M「これまでは、なんとなく有体物という前提の上で慣習的にやってたことを、いちいちきっちり制御できる電子上のシステムでやるから、妙に定量的になっちゃってるんですね」
S「ほんとは全メディア共通のマイクロペイメント・システムが定着すれば、いいのかもしれないけど*1……でも、立ち読みするたびに1円とか2円とか徴収するとなると、かえって徴収コストのほうが大きくなっちゃうかも」
X「そらそうだ。なんでも結局はコストの問題だぜ……政治的コストも含めてな。税金でも似たような制度あるだろ。課税最低額とか、消費税の簡易課税制度とか」
M「そういえば日本ファルコムが先日そういう判断してましたよ」
X「角川グループがYouTubeと提携した時も、同じように先を読んだんだろうな」
S「かもしれませんね。ちなみに『サイバースペース著作権』(名和小太郎中公新書)によれば、当初のベルヌ条約でオルゴールが例外扱いされてたのは、それが『当時スイスの主要産品であったので、条約参加各国は開催国スイスに敬意を表して』配慮をしたから、だそうで」
M&X「へ〜×19」

S「というわけで先ほど読み終わったばかりですが、これは良い本ですよ。コンパクトで、明快で、十数年前に出版されてるけど内容がまったく古びてない」
X「逆に言えば、それだけ著作権法まわりの改善が遅れてて、問題が当時から山積みのままになってる……ってことなんだけどな」
M「うわ、身も蓋もない言い方」
S「まぁ実際そのとおりなんですがね……というわけで、話はぐるっとグーグル・ブック検索に戻るんですが。あれに参加・協力・便乗するにせよ、しないにせよ、採り得る道は案外に限られてるのでは、というのが現時点での新城の意見です。要注目のパラメータ(=次元)は、実は2つしかない。整理してみると、こんな感じ↓でしょうか:

  無限書棚環境 有限書棚環境
有料 1:「博士、強力なDRMが必要なのだよ……ぜひ開発してくれたまえ」 (旧来の書店+流通システム)
ほとんど無料みたいな値段 2:「マイクロペイメントでレッツゴー!」 3:ひたすら薄利多売、もしくはここから1へ客を呼び込む
無料 4:「おいらはデジタル海賊さ〜♪」の世界、もしくは一部無料公開して1へ客を呼ぶ 5:巨額の寄付や周期的なお祭りをやって経費は広告宣伝費に計上、別のところで黒字をつくる

X「ふーむ」
S「まさか新城も、こんなに早く有料or無料という区分が緊急の課題になるとは思わなかったですけどね。昨年末に、早稲田文学のシンポジウムで発言した時は『今後数年以内に』くらいで想像してたんですが――」

M「え、こんなことやってたんですか新城さん」
S「まあ、現場の声のサンプルとして、みたいな感じで。でもほんとにあの時は、わずか3ヶ月後に自分がブログでグーグル×著作権問題を必死に追いかけてるなんて、夢にも思わなかったなあ……」
X「しかし、あのシンポジウムがきっかけで今度****にも***することになったんだから」
M「そうなんですか?」
S「いや、それはまだオフレコってことで」
X「それだけじゃねえぞ、他にも***から*****を*******」
S「だからオフレコですってば!」

(以後数分間、内緒話)

X「おう、そうだ。さっきの書物アポトーシスの話だがな。……イメージとしては解った。ただ、厳密に言えば生原稿という鋳型は残ってる(場合もある)わけだから、書籍の絶版イコール細胞自死とはならんのじゃないか? むしろ、

  • (作者の構想)
    • →生原稿/生データ
      • →編集と校正担当*2と作者のあいだでとびかうゲラ
        • →版下
          • →フィルム
            • →印刷・製本された書物
              • →流通・販売される書籍

みたいな段階を全体として捉えたほうがいいと思うぜ」
S「うーん。まあ、そのへんは、わかりやすさを優先させた比喩ということで。実際、上記の過程のどこが無限書棚時代には不要になってどこが逆に重要になるのか、とか非常に興味深いんですけどね。あるいは『絶版』と『品切れ』と『重版未定』の違いは何なのかとか、それらが現行の印刷技術体系と実は深〜い関係にあることとか、そもそも日本語圏における『版』とは歴史的にどんな変遷を経てきたのかとか……。というわけで、このへんの話題はさらに後日に続きます」
M「またですか! 今回は長いなあ〜。生産性の話はどうなったんですか、そういえば」
S「や、いろいろ忙しくて……SF長編とか、短篇とか、例の大長編の校正とか……」
X「あと*****も」
S「まだオフレコですっ! ちなみに生産性と版の話は、次くらいから融合しますんで、もう少々お待ちを」
M「ふーん。あ、もしかして、それで『版』がどうしたとか考え始めたんですか。校正が大変だから」
S「どきっ」



 

*1:実際、ネルソンのザナドゥ・プロジェクトをはじめ、初期にはそういう構想があったようです。参照:『サイバースペース著作権』(名和小太郎中公新書

*2:新城は「校正さん/さま」と呼んでるのですが、厳密に言えば校閲担当者さん、なのかもしれません。うーむ、知ってるつもりの業界でも、実は意外と知らなかったりして……出版は奥が深いなあ……。