伊藤計劃くんへ

――この手紙を、どうやって書き始めるべきか、解答の見つからないままとりあえず書き始めています。そもそも、「伊藤計劃くん」と書くべきか「さん」と書くべきか、あるいは「君」と呼んだらいいのか「貴方」と呼ぶべきなのか、それさえも最後まで迷っていましたし、今でも迷っています。
ひとつだけ確かだったのは、僕はこの手紙をきみの四十九日が明けてから書くのだ、ということでした。最初にきみの訃報を(あのあまりにも速くて便利すぎるtwitterを経由して)知った時、僕は本当に言葉を失いました。こうして書いてしまえば、それはあまりにも陳腐で紋切り型の表現なのですが、しかし事実は事実なのですし、いずれにしても僕はその後も自分自身のたいそう陳腐で紋切り型の言動に直面することになるのですから、今さら取り繕うのは無駄なことです。この点については、きみの赦しを請う以外にありません。




僕がきみ宛の手紙で書こうと決めたことは、実は二つありました。いずれも僕自身の弱さから発するもので、一つは僕の傲慢について、もう一つは怯懦についてです。前者には別に記す場所を幸いにも与えていただけたのでそちらに譲るとして、ここでは後者を記しておきたいと思います。
先日、きみの御実家へ御焼香にうかがった帰り道、同行した作家の某氏が、こんなようなことをつぶやいたのでした。――伊藤くんが登場した時に自分は、彼をライバル・チームのピッチャーに見立てて、あの凄い球をどうやって打ち返そうか考えて燃えたんだよ、と。
僕は一瞬、何も言えませんでした(先ほど書いたとおり、紋切り型表現のやつは、くりかえし僕の身に襲いかかっていたのです)。
なぜなら僕も半分だけ同じことを考えていたからでした。
半分だけです。
僕の見立ての中でも、きみはやはり、すごい球を投げるピッチャーでした。まだ荒削りのところはあるにせよ、まだ入部したばかりでとてつもない球をほうる、間違いなく甲子園を目指せる期待の新人でした。
けれど僕はけっして某氏のように、きみの球を真正面から受け止め、打ち返そうという発想はしませんでした。僕は、きみが僕と同じチームの新入部員なのだと、そしてきみが入ってくれたおかげで僕たちのチームは今後どんどん勝ち進めるのだと想像していたのです。



そして、僕自身はレフトあたりのポジションをもらって、この素敵な球技をのんびり楽しむことができるだろう、と。



それがどれほど卑怯であったかを、きみに対して無礼千万であったかを、僕はあの日以来ずっと噛みしめています。僕はきみのように全力を尽くしていなかった。覚悟を決めていなかった。その怯懦をここに僕は記しておきます。今になって、僕はくりかえし、きみのブログの文章を読み返しています。たぶんこれからもくりかえし読み返すことでしょう。僕はきみのことを忘れないでしょう。今の僕にはそこまでしか約束できません。そして、それ以上の約束は、この手紙に記すのではなく、僕がこれから僕自身の時間を費やして証明してゆかなくてはならない事なのだと思います。


BONAM VIAM, COARMIE. BONAM VIAM.